1990年代後半の翻訳業界 ~景気後退とインターネットの出現~

日本では1989年に株価が暴落、1991年には不動産価格が急落し、1990年代はその影響で日本の景気が著しく悪くなりました。銀行による「貸しはがし」や証券会社ならびに銀行の倒産なども起こりました。


さらに1997年には「アジアの通貨危機」が発生し、日本企業による海外進出が軒並み減速するといった、翻訳業界には厳しい時代になりました。


当社は1997年に創業しましたが、まさに最悪のタイミングでのスタートでした。

国内の翻訳需要が極端に少なくなった時期に会社を立ち上げたのです。
会社は出来たが、顧客からの翻訳依頼がなければ倒産するしかありません。


そこで当社は、その時期世界中で広まりつつあったインターネットを活用し、新規顧客の開拓をすることにしました。


その当時、日本の翻訳会社の多くは首都圏、関西、東海地区などの大都市圏で営業していました。顧客の近くにいた方が営業的に有利だったからです。


しかし私たちは「インターネットが普及した場合、翻訳発注者は近所の翻訳会社だけではなくインターネットを使って全国規模で依頼先を探し、インターネットで発注する時代になる」と考え、以下の行動を開始しました。


1. 会社のホームページ(HP)を他社に先立って立ち上げ、全国規模で見込み顧客にアピールする。

当時HPの制作は一部のIT専門業者だけが持っているノウハウであり、「ホームページの作り方」的な書籍も世の中に広まっていませんでした。そこで当社は専門業者さんから直接指導を受け、一から勉強して自社のHPを作り上げて公開しました。
【トランスワードHP:https://www.transwd.com/


2. 当時世間で始まっていたインターネット経由の「メールマガジン」を発行し、自社の品質と企業姿勢を知ってもらう。
創業翌年の1998年から当社は将来の優秀な翻訳者さん確保のため、一般向けの翻訳教室を本業と並行して運営していました。教育に必要な教材として自社の翻訳のノウハウをまとめた複数の「翻訳参考書」も制作・出版していました。教材は現在も販売しています。
翻訳参考書マーケット


メールマガジンでは当社翻訳教室の生徒さんを主なターゲットに、実務で役立つ翻訳ノウハウを定期的に広く発信し、当社の翻訳サービスのPRも併せて行いました。

このメールマガジンは途中一時的な休刊はありましたが、現在も継続して発信しています。
【トランスマガジン】-翻訳会社が教えるプロの英語


これらの活動が功を奏してか否か、因果関係ははっきりしませんが、その後徐々に新規安定顧客を獲得することができ、会社の経営が安定してきました。

翻訳会社トランスワード 社長のブログ

当社は広島を拠点にする、自動車を含む工業技術分野を得意にする翻訳会社です。 このブログでは1997年の創業から現在に至るまで、翻訳会社として良いサービス提供のために考えてきたこと、実行してきたことをまとめます。 また、海外出張などで経験し、興味深いと感じたことなどを随時お届けします。 株式会社トランスワード:https://www.transwd.com/

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